最近、エコについての落語をするという機会がありました。
それでいろいろ勉強しましたが、人間って本当にたくさん資源を使って生きているんやなぁと再確認しました。
たとえば、
テレビ1台つけるのにかかる電気を人力で自転車をこいで生み出すとすると・・・
なんと 50台必要! なのです。
蛍光灯ひとつつけるにも23台必要。。。
そう考えると電気も大事にせなと思いますね。
家庭の消費電力の16パーセントは待機電力ということですから、こまめに電気を消すということが大事なようです。
我が家は昔ながらの棟割長屋で、横幅約2・7m(9尺)、奥行き約9m(5間)です。
めっちゃ細長いのですが、幸い2階建てで、3階には屋根裏部屋としてほぼ下と同じ広さのスペースがあるので、そんなに不自由はしていません。
ところがこの3階がクセモノで、明かりのスイッチが2階にあるのです。(はしご段下)
と、どうなるかと言うと、3階に上がるときには点けたスイッチを、降りるときには忘れるという現象が起こります。
起こります、というか私がよく忘れます。。。
当初あまりに毎日電気を消し忘れるので、嫁さんが考案した新ルールとして、スイッチのところに「電気けす」という貼り紙をするとことになりました。(以下参照)
ところが、それでも私が忘れ続けるため、
今度ははしご段を降りてくるときに見える本棚に
「電気けす」という貼り紙をすることになりました。(以下参照)
ところが、さらに私が忘れ続けるためにどうなったかと言うと、、
スイッチをつけて3階に上がるときに、
「電気けす」という貼り紙を自分の体に貼っていく
というルールになりました。。。
結果どうなったかというと、
電気の消し忘れはほとんどなくなったのです!!(ぱちぱちぱち)
つまり何が言いたいかというと
節約は自分の力だけでしようとするのではなく、
身近な人の協力(強力?)(権威?)(脅威?)を使って行うと効果的だ、ということです。
さて、というわけで今回も古典落語「始末の極意」より。
「金をためるには食べる物を始末するのが一番やが、お前は最近ご飯のおかずは何や?」
「へぇ、最近は塩ですな。はじめはごま塩にしてたんでっけど、ごまがもったいないなーと思て、最近は塩だけをごはんにかけて食べてます。これはよろしいやろ?」
「・・甘いな。塩は欠点があってな、、、食べたら減る。」
「当たり前やがな。。ほな何がよろしい?」
「梅干しはやったことないか?」
「梅干し!?あんなもん昔にやりましたがな。朝皮を食べて、昼は実をおかずにして、晩は種をなんべんもねぶってね、塩気がなくなるまでなめたらかなづちで叩き割って、中の天神さんちゅうやつですか?あれ食べたとして一日一個はしゃあないなぁちゅうて。」
「・・・贅沢やな。」
「梅干し一個が贅沢ですか!?」
「そうや。そんなことしてたらお大名や言われるで。梅干しちゅうのは本来食うもんやない。」
「食うもんやない!?・・ほな何するもんでっか?」
「・・見るもん。」
「見るもん!?」
「そうや。梅干しを皿の上に一個のせる。で、箸と茶碗とを持ってこれをぐーーっと睨む。口の中へ入れたら酸っぱいやろなぁと思たら口の中へ酸っぱいツバがぶわーーっと湧いてくるやろ?」
「湧きまっしゃろな。」
「それをおかずにご飯食べるねん。」
「あんたには勝てまへんわ。」
と、いうわけでまた次回。